シゴトビト

シゴト、がんばる、ヒトのコト。

#16

(前編)「要するに自分は完璧主義で100点が取りたいだけなんだなと気づいたのです。80点でいいやと思ったら楽になりました。」

上海人雨而(レンユアー)系統技術軟件有限公司 総経理 松村 稔 氏

取材日:2015年11月

海外に進出している日本人社長と聞くとどんなイメージを持つだろうか?財テクに長けていて、超高層マンションの上のほうに200平米ぐらいのマンションを持ち、高級外車を乗り回し、ギラギラした仲間と夜な夜なパーティーを開き、日本であくせく働いている同年代の人々をなんとなく見下して、でもその分、英語も現地語もペラペラ――というような偏見を筆者は持っていた(ITバブルのころのヒルズ族のイメージ?)。そういう人もいるのかもしれないが、上海でシステム受託開発会社を経営している松村総経理(社長)は「普通の人」だった。だからこそ、彼の話から勇気をもらえる。
聞き手:森川滋之

●SARS(サーズ)のせいで日本に帰れなくなって

上海に進出したきっかけは何だったのですか?

 私が父の会社に入社する直前なので1998年ごろだったと記憶していますが、顧客企業が上海に工場を設立すると言うので、システムの保守や新規開発が必要だろうと、弊社も支社を設立したのです。留守の間は岐阜のほうを古株の人に任せて、父は上海と日本を行ったり来たりしていました。

 中国のITエンジニアの人件費がとても安かったころで、国内企業のシステム開発を中国でやるオフショア開発が盛んなころでした。弊社もそれをやっていたので、私はブリッジSE(日本企業と中国人エンジニアの間に入って仕様等の調整をするエンジニア)として、主に日本にいて仕様書を書き、中国人との打ち合わせのために短期出張で上海に行くという働き方をしていました。

上海にはいつからお住まいなのですか?

 2003年からです。
 このときも短期出張のつもりで上海に来たのですが、ちょうどSARSが流行していて日本に帰りづらい雰囲気になっていたので、2004年いっぱいぐらい上海にいました。途中、1年半ほど東京で上流工程だけをやっていた時期もありましたが、それ以外はほぼ上海で仕事をしてきました。当初は父と2人でやっていましたが、2010年からはほぼ私1人でやるようになりました。

●80点主義に変えたら楽に

言葉で苦労しませんでしたか?

 2000年ごろから通訳を雇っていたので、仕事の面ではあまり苦労しませんでした。仕様書も仮名を使わずに漢字と英語だけにすると通じます。
 2004年になって長期滞在するようになると生活のほうがたいへんなので、中国語を勉強するようになりました。3年ぐらいでやっと通訳なしで話ができるようになりました。

中国語はいろいろ難しそうで私などは最初からあきらめているのですが、3年ぐらいで話せるようになるとは、私とは語学の才能が違うのでしょうか?

 仕事だけに関して言えば、ふだん使う言葉はIT用語が多く、中国語独特の語彙はそれほどありません。正直へたくそな中国語なんですが、相手もだんだん慣れてきます。
 言葉よりも文化の違いに慣れるほうがたいへんでした。

文化の違いとは?

 仕事の進め方で言えば、日本人は一歩一歩慎重に、その上に保険をかけながら進んでいくイメージじゃないですか。それを中国人は3歩ぐらい一気に進んで、結果が良ければOKという感じなんです。
 最初のころは、これにイライラしました。実際失敗もありますから。しかし、慣れてくるにつれて、日本人の文化を押し付けるのではなく、「これだけは絶対に外さないで」という指示だけして、あとは任せることにしました。
 要するに自分は完璧主義で100点が取りたいだけなんだなと気づいたのです。80点でいいやと思ったら楽になりました。中国語も一緒で、完璧でなくていい、発音がむちゃくちゃでも恥ずかしくないと思ったら通じるようになりました。

とはいえ四声(中国語独特のイントネーション規則)など面倒な規則があると思うのですが?

 実は、私は四声、むちゃくちゃです。それでも文脈から拾ってもらえるんですよ。どうしてもダメな場合は、筆談すればいい。漢字が書ければなんとか通じます。

●進出当時は飛び込み営業から始めた

当初の営業はどうしたのですか?

 最初に父が来たときには中国人のパートナー がいて、進出のきっかけになったお客様の工場の近所から飛び込み営業をしていました。
 営業先は基本的に日本企業の現地法人ですが、途中で中国籍に変わった企業もあり、現在では日本企業が9割です。

会社自体は大きくなったのですか?

 私が来たときには私も含めて5名でしたが、現在では13名いますので、倍以上の規模になりました。ただし順調に右肩上がりで増えてきたわけではなく、増えたり減ったりの波はありましたね。2010年まではあまり増えませんでしたが、2010年から13年にグッと伸びて、そこからは横ばいという感じです。
 会社が儲かっているかどうかは働いているとだいたい分かるようで、儲かっているのに給料が上がらないと辞めていきます。あと、給料の額も公開し合って、自分の待遇が悪いと分かると抗議されます。中国人はシビアですよ。

●上海で結婚、娘を溺愛

結婚はなさっているのですか?

 はい。安徽省出身の3つ年下の女性と結婚し、6歳の娘が1人います。和美という名前ですが、日本人らしい名前でいながら中国読みも美しい名前にしました。「フーメイ」と読みます。溺愛しています(笑)。

娘さんはバイリンガルなんですか?

 日本語も中国語もどちらも達者ですが、妻に言わせるとやはり外国人ぽい中国語なのだそうです。幼稚園は日本人向けに通わせていて、中国語は母親と近所の人と使うだけだからでしょう。

ちなみに中国では夫婦別姓なんですよね?

 そうですね。結婚したので日本の戸籍に登録したのですが、そちらも別姓のままなんですよ。国際結婚だとそうなるのかもしれません。

●中国人相手には根気強さが必要

中国人の部下を持つ苦労はありますか?

 自分なりのやり方にこだわるので、やるなということに限ってやったり、ここだけはやってくれと頼んだことをやらなかったりすることですね。「ここは重要だから、ここだけは念入りにテストしてくれ」とお願いしてもやらない。入社したばかりの社員は特にそうですね。

それに対しては、どうするのですか?

 注意するしかないですね。1~2年続ければ言うことを聞くようになります。
 昔は怒っていましたが、それはなくなりました。本人に悪気はないんです。ただ、自分の仕事だと分かっていないだけなので、根気よく注意し続けます。
 そうすると向こうもどういうところで注意されるか分かってくるし、こちらはこちらで自分の仕事と思わないのがどういうところか見えてきて対策できるようになるので、だんだん言わなくて済むようになります。

●残業はしないが納期意識は強く、人のやり方に口を出さない中国人

これはいいと思うことはありますか?

 残業をしないのはいい習慣だと思います。どうしても間に合わせないといけないので残業をしてほしいとお願いするとやってくれますが、それ以外は絶対にしません。ただ、見ていないとSNSやゲームを始めるのは良くないですけどね。

納期意識はあるのですか?

 それはあります。納期はしっかり守ります。ですが、品質を気にしません。客先に納品できるレベルでなくても、それまでに5本プログラムを仕上げろと言えば仕上げてきます。

中国人ならではの特徴的なことはありますか?

 他人のやり方に口を出しませんね。その意味ではとても自立性を重んじます。実際、私の言う通りにやらなくても結果オーライだったことも多く、私もできるだけ自立性を重んじるようになりました。
 ただその分共同作業は苦手ですね。こと細かく役割分担を明確にするか、上下関係を決めてあげないと仕事が進みません。

●「彼には彼のやり方がある」

自立性を重んじるということですが、具体的にはどんな感じなのでしょうか?

 当社では現在主にC#で開発していますが、やり始めたときは技術者がいないので協力会社にお願いしました。
 打ち合わせのときに出てきた上司に当たる人の仕事の進め方やコーディングの仕方がとても良かったので「それでお願いします」と頼んだのですが、実際に仕事をする部下の人が全然違うやり方なんです。それで注意してくれと上司にお願いしたところ、「彼には彼のやり方がある」と言い返されてしまいました。

 最初のころは、このような中国人の仕事のやり方にイライラすることが多かったのですが、こういう仕事のやり方もありだなと思えるようになりました。私自身の勉強にもなりました。

それは日本人と比較してですか?

 そうですね。日本人の仕事のやり方は細か過ぎると感じるようになりました。また中国のほうが人のやり方に寛大なところがあり、それを見習っているうちに、違う考え方を取り入れても割とうまくいくものだなと思うようになりました。





(次回は、松村社長が過去を振り返り「アレをやっていなければ、うちの会社はなかった…!」と思うことなどを中心に聞いていきます。 )
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